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『合理』は『不合理』のためにある。
人はまず『不合理』から始まる。
しかし、学校や社会で『合理』を学ぶ。
そうやって、より機械的な大人となっていく。
自らの直感に従わず、打算で行動するようになる。
『合理』は理路整然としているが、そこに自由はない。
ただ論理的なパターンだけがある。
それは頭脳的な獣道だ。いつも同じ道を通りたがる。
しかし、その『合理』を重んじるせいで、
あなたのハートは耐え難い抑圧を味わう。
ハートはとても『不合理』なものだ。
感情に振り回され、いつも冒険したがる。
それはあまりに危険だ。
だから『合理』でブレーキをかけるよう、
子供は学校や社会で訓練を受ける。
しかし、そのままでは精神的な自由を知らない状態で人生が終わる。
それではあまりに勿体ない。
人は再び『不合理』の中へ戻っていくべきだ。
『合理』の檻から出るべきだ。
挑戦することによって、自らの直感と創造性を取り戻すべきだ。
『合理』はもうマスターした。
だから『合理』じゃないことを、『合理』じゃないやり方でやればいい。
戯けること、笑うこと、遊ぶこと、愛することを再開しよう。