「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

宗教

西洋的な心も、東洋的な心も、 どちらも苦しみの中にあることに変わりはない。 西洋も、東洋も苦しんでいる。 東洋はゴールではない。 それは未だ道の途中である。 西洋的なものにとって、東洋的なものは 所詮は対処療法でしかない。 長い道の途上にある一時…

奥が深い分野に関しては、 所詮は遊びと思うべし。 追究し始めると、それは永遠と続き、ひたすら円のように回り続けていく。 そこに「ゴール」はない。考え出したら、キリがない。 だから遊びのように、 ギャンブルやスポーツのように行いなさい。 決してビ…

心と真実と

真実に至る唯一の道は、 自分の眼でどうやってじかに見るのか、 心(マインド) の助けをどうやって落とすのかを学ぶことだ。 心のこの仲介が問題なのだ。 心には夢を生み出すことしかできないからだ……。 あなたの興奮を通して、その夢が現実のように見えてく…

宗教性の原則

Somebody(誰か)、Something(何か)が、 物質・世俗・外面・客体・自我である。 Nobody(誰でもない)、Nothing(何でもない)が、 精霊・神聖・内奥・主体・真我である。 物質・世俗・外面・客体・自我は見られることはできても、 見ることができない。 精霊・神…

アイデンティティー の不在こそ、真の実在

アイデンティティー の不在こそ、 真の実在の条件である。 いつでもなく、どこでもなく、 誰でもなく、何でもない。 真のあなたは、その中に在る。

偶然と必然の大原則

人間に与えられた自由とは、 「選択の自由」ではなく、 「偶発の自由」である。 この点を履き違えている人は、総じて運が悪い。 偶然とは「必然の皆無」であり、 必然とは「偶然の皆無」である。 必然の可能性を除去して行くと、 偶然の可能性は高まり、 偶…

物としての生、霊としての生

物的な素質か? 霊的な素質か? 物の時代は霊的に貧しく、 霊の時代は物的に貧しい。 物は『表・明・葉・花・派・浅・動・浮・幅・有・赤・我』がキーワード。 霊は『裏・暗・根・種・源・深・止・沈・奥・無・青・神』がキーワード。

鳥は空を離れず、魚は水を離れず、 樹は土を離れず、人は世を離れず。

社会と、個人と

職業、信用、会社、政治は社会的な要素であり、 趣味、信頼、家庭、宗教は個人的な要素である。

空っぽの道と、充ちる道と

『無』と『全』は、まったく同じことである。 『空』と『充』も、また同じく。

『中道』

仏陀が唱えた『中道』は、 それは最も価値が無く、そして同時に最も価値がある状態である。

記憶と想像をどう無効化するか? これが瞑想法の努力の方向性である。 『自らの心からどう自由になるか?』を探求しよう。

アイデンティティー有ってのコミュニケーション。 コミュニケーション上手になりたければ、 まずはアイデンティティーを上手に作れ。 それができれば、 あとはポジショニングとマッチングを修練すればいい。 そうやって、対人関係がうまく行くようになってい…

持てる物心、持てる覚識には限界がある。 限度を弁えることが、より良い生への第一歩である。

知性の発達は、不信の結果である。 ゆえに、知性の発達した人物は多いが、 感性の発達した人物は希少だ。 世間の中にあって、信頼は貴重だからだ。

自己が無ければ、存在はそもそも生まれ得ない。 自己へと至らなければ、存在が再び生気を帯びることはない。

一時的に心身の『感・知・想』の三作用が完全に停止しない限り、 『無』に出会うことはできない。

『有るもの』を以ってして、 『無いもの』に至ることは決してない。 『有』を除去することでしか、 『無』に至ることはできない。

感じることも、知ることも、想うこともできない、 すなわち『無』とは、『不在』のことである。

『無』とは、 『どれでもないもの』と言える。

『無』の表現形

間接的、かつ逆説的に表現することでしか、 『無』を表現する術は無い。

『無』の定義とは?

感覚でも、知識でも、夢想でもなく、 そしてそれらの対極でもないもの。 これが『無』の定義である。

世界と自己と

世界に存在する全ての物事は『有』に属し、 自己のみは『無』に属す。

『 腹の機能中枢 』と『 頭の機能中枢 』

~ 腹の機能中枢 ~ 積極、肯定、建設、相対、暗示、試験、許容、 感情、信頼、判決、縮小、危険、実現、失敗、 芸術、調和、一体、放棄、進捗、粗雑、概要、 結果、開通、明晰、順次、定着、交友、自己、 覚悟、前向、客観、遭遇、天然、習慣、光輝、今、Pl…

主観は『Somebody』であり、それは幻影である。 客観は『Nobody』であり、それは実在である。 理智は群衆の主観であり、直感は各個の客観である。 故に主観は虚偽であり、直感は真実である。

過ぎ去った日々と人々に

過ぎれば是、異なる日。 過ぎれば是、異なる人。 過ぎ去った日は、もうその日ではない。 同じ日は、もう二度と来訪しない。 過ぎ去った人は、もうその人ではない。 同じ人とは、もう二度と出会えない。 この世界では、あらゆるものが変移していく。 天のよう…

体験と情報と

体験は現在に属し、情報は過去に属す。 現在は体験の連続であり、過去は情報の連続である。 体験は人を強くし、情報は人を弱くする。 前者は自分だけのモノであり、後者は他者からのモノだ。 体験を重ねれば、迷いはいよいよ少なし。 情報を集めれば、迷いは…

人生は『流れ』だ。 そこには、終わりも始まりも無い。 ひたすら続いていく道だ。 『考え』ではなく、『慣れ』が必要だ。

この世界だけが存在する。 『あなた』は存在しない。

この世界の中の『あなた』

『あなた』は何も持たずにこの世界にやって来た。 そして、何も持たずに去っていく。 この世界に『あなた』本来のものは何一つとして存在しない。 この世界は『あなた』以外の存在だけで成立している。 それを忘れてはいけないよ。