「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

2018-12-21から1日間の記事一覧

『やっちゃった』で良いじゃないか❗️ もう、そんなノリでいいんだよ。

急ぎはしないが、休みもしない。 無理はしないが、病気もしない。 励みはしないが、怠けもしない。 だから結局、上手くいく❗️❗️

学習とは、カンニングのことだ。 挑戦とは、クリエイトのことだ。

オリジナルで無いことを恥じるな。 オリジナルを超えていないことを恥じよ。 無手勝流だからと言って、引け目を感じるな。

女性の外見は、女性の名刺である。

理論は地図のようなもの。 知ったつもりになるためのもの。 現地へ足を運んでいけば、地図を卒業できる。 決して『行ったつもり』で終わるな。

権威とは、 『正解を作った団体』のことだ。

理論的な人物は、遂に真実を知ることがない。 真実を知りたければ、実務的になりなさい。

マニュアルが、己の判断力を制限するものであってはならない。 マニュアルは、判断力の後ろに付いていくべきなのである。 憲法(権力を制限する)のようなマニュアル(判断力を制限する)は絶対に作るな。

理論よりも、己の判断力を信ぜよ。 マニュアルに頼るようになってしまうと、判断力はますます衰えていく。

生地をコネていれば、 それがやがてパンになり、ピザになり、ナンになり、麺になり、何にでもなる。 人生に必要なのは生地的なものであって、製品的なものでは無い。

学問は『正解があること』を前提としている。 これは危険だ。 実務に正解はないからだ。

『合理』は『不合理』のためにある。 人はまず『不合理』から始まる。 しかし、学校や社会で『合理』を学ぶ。 そうやって、より機械的な大人となっていく。 自らの直感に従わず、打算で行動するようになる。 『合理』は理路整然としているが、そこに自由はな…

知識、理論は信仰である。 ゆえに、教育業は一種の宗教である。

真実は、その自らの内に矛盾を含んでいる。 しかし、それを『矛盾』として認識するのは人間の『心』だけだ。 『心』を落とせば、『矛盾』も消える。 瞑想によって『心』が落ちれば、 『矛盾』による葛藤も癒される。

真実は『ただそうある』としか言いようがない。 説明することもできないし、定義することもできない。 真実は究極に不条理で、非言語的である。

人は理由、目的、経歴、計画を知りたがる。

どんな人も、『ああ言えばこう言う』ものと知れ。

手に職となり得る要素は、知能・技能・芸能のどれか。

薄利多売は『無条件降伏』だ。 新たな価値を付け加えれば、安くせずとも売れるはず。 安さで勝負することは、身体を売ることと同じだ。

一ヶ所ばかり見てると、本当にそこしか見えなくなる。 視野の狭さ、低さ、暗さには注意しろ。

人間がエネルギッシュに生きられないのは、 道徳という自他の抑圧があるからだ。 マインド(思考)は、押し付けられた道徳から発生する。

集団(社会)に属す限り、政治と経済からは絶対に逃れられない。 集団は常に、権力と資産を争奪する運命にある。

理論(思想)もまた、一種の娯楽である。 それは人間を酔わせる。

真実は決して知り得ないものだ。 『本当のこと』は結局のところ、誰にもわからない。 だからこそ、注意深さを失ってはならない。

道徳こそが、人間を生殺しにしている。

自分の見せ方、商品の見せ方を研究せよ。 如何にして気を起こさせ、如何にして気を起こさせないか?

春季と秋季に飛躍せよ。 夏季と冬季は、あまり無理するな。

実行こそ信用、継続こそ信用。

人生に逆転ホームランは無い。 ゴロやバントを地道に積み重ねろ。