「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

2018-07-07から1日間の記事一覧

哲学者は問い続ける。 彼らは考え続ける。 同じところを何百回、何千回と堂々巡りする。 「何故そもそも...」という姿勢をひたすら取り続けている。 彼らはひたすらムーンウォークしている。 大元に至るために、前進を拒絶し続けている。

普通ではない、そして普通になれない人。 そういう人が一般社会の中に入っていくと散々な目に遭う。 だからその人たちのために芸術や宗教の世界があるのだと思う。 芸術や宗教は、普通の人にはできない。 作品や世界観が普通でありきたりだったら、そこに価…

芸術家が「美しさ」に心奪われなくなったら、もう終わりだ。 「美」に対してただ一心に、我を忘れて夢中で駆けている少年でありたい。 遊び心、子供のようなユニークな心をいつまでも持ち続けたい。

芸術は遊び心の延長にある。 芸術家は遊ぶことが仕事だ。 泥まみれになってでも、真剣に「美」を追いかける遊びだ。 遊び心こそが、芸術家の資本だ。遊ぶことが投資だ。

万物は「美しさ」と「鮮やかさ」を持っている。 問題はそれに気付けるか、ピックアップできるかだ。 それを見つけられるだけの心の豊かさ、ユニークさが無ければ、 芸術を感じることはできない。 感受性のない人間は、芸術や宗教には縁がない。

人間には純粋なもの、美しいもののために殉じたいという願望がある。 そうすることによって、自らの存在と生涯を意味あるものにしたいのだ。

美は感動だ。 それは人を酔わせる。 人を詩的な気分にさせる。 一度取り憑かれてしまったら、もう止まらない。

プロ野球の長嶋茂雄、 建築家の安藤忠雄、 ロック歌手の矢沢永吉、 好きなことを追いかけている人は いくつになっても輝いている。 少年のような心をいつまでも持っている。 いつまでも 青くていいじゃないか。未完成でいいじゃないか。

感動を追いかけないと。 感動は更なる感動へのエネルギー源になる。

勝海舟の言葉 「世の中、無神経ほど強いものはない」

「感じない、考えない」が最強。 いつの時代も猪武者は有利。

どこを走るかは大事じゃない。スタートしたかが大事だ。 スタートを切っていれば、いつか必ずゴールする。 そもそもスタートしてなかったら、ゴールもクソもない。 断言しよう。 スタートすれば、君もきっと夢中になるさ。 心配しなくて大丈夫。

「好き、嫌い」はまだ"選んでいる段階"だ。 最優先は、"選んだ後の段階"だ!

道は進むためにある。 進める道を選べ。 それで間違いはない。

「何をやったか?」も大事だけど、 それよりも「どれだけやったか?」だ。 そっちの方がもっと大事だ。

実務の裏付けがない哲学は、哲学ではない。 それは単なる夢想。

やっぱり何事も経験力、人間力だよね。 どんな世の中になっても「どれだけやったか?」がすべて。 これは決して変わらない。

実績や資格もそうだが、 目に見えてハッキリわかる指標がある仕事は面白い。

実力を伴わないプライドはゴミのようものだが、 実力を伴っているプライドには強烈な迫力と説得力がある。 男は仕事、仕事はプライド。

実績や資格によって箔が付く。 この"箔"が魔力を持つ。 役職や資格、称号など肩書きが人に与える影響は計り知れない。 より堂々とした、立派な人物になっていく。

客商売ほど、実は有資格者が有利。 同業者ならばその手腕を見てがわかるが、素人にはわからない。

素人や不特定多数の人間に選ばれたければ、 ズバリ資格を取るべきだ。 彼らはまだ業界事情を知らないから判断できない。 業界人なら細かい情報を知っているが、外部者にはわからない。 だからこそ実績や資格というわかりやすい指標に弱い。 確かに、資格を取…

旧ドイツのアドルフ・ヒットラーの映像を見ていると、 ふと気付くことがある。 彼が演説しているとき、明らかに自分自身に酔っているのがわかる。 あの話し方は"自分に酔っている人間"の話し方だ。 だからこそ、その姿が絵になっている。 自分に酔っている人…

対人恐怖症の原因

自分に酔える人は、人前で萎縮せずに済む。 逆に自分に酔えない人は萎縮してしまう。 マトモな人ほど酔えない。ナルシズムになり切れない。 対人恐怖症に即効性のあるテクニックとは、 「自分に酔うこと」である。

これからはオブジェクト指向、 つまり社会的な、わかりやすい在り方が幅を利かせるようになる。 真に東洋的なもの、深遠なものは、 表現され得ないが故に消えていく。 世界は本当の意味で「西洋化」していく。 より表面的になっていく。 「医師と弁護士が活…

若者にとっての老人、 老人にとっての若者は、 もはや「外国人」だ。 理解し合うことはあまりに難しい。 だから一方的に押さえ込むようになってしまう。 暴力とは、コミュニケーションの放棄である。

秦帝国の始皇帝をはじめ、 モンゴル帝国の成吉思汗も、 戦国の織田信長も失敗した。 彼らが目指したグローバル主義、大組織という 強大な中央集権体制にはやはり限界があった。

世代は交代していく。 これは宿命だ。 既存の文化が若者たちに受け入れられなければ、 その文化は消滅していく。 事業だって同じだ。 顧客の中核は中高年なのに、 若者受けを狙っていかないとその事業に未来はない。 文化も事業も、その世代その世代の支持が…

昭和の時代を経験してきた人々にとって、 今の時代はとても辛いだろう。 大きな喪失感と孤独感を拭えまい。 まさかこんな日本になるなんて、 一体誰が想像できただろうか? しかもこれは日本だけじゃない。 世界中の先進国で起こっていることだ。

物質的に豊かになっていけばいくほど、 人間はますます孤独になっていく。 社会はますます狂っていく。 何故だろうか?