宗教性の原則
Somebody(誰か)、Something(何か)が、
物質・世俗・外面・客体・自我である。
Nobody(誰でもない)、Nothing(何でもない)が、
精霊・神聖・内奥・主体・真我である。
物質・世俗・外面・客体・自我は見られることはできても、
見ることができない。
精霊・神聖・内奥・主体・真我は見ることはできるが、
見られることができない。
見られるものは何であれ、それは真我ではない。
見られることができないもの、それが真我である。
それは見ることはできるが、見られることができない。
あなたは探せないはずのものを発見しなければならない。
これは大いなる矛盾である。
見られないものを如何にして見るか?
或いは、見るものが如何にして見られるか?
そしてこの二つの問題は、実は全く同じことである。
人生の苦悩を終わらせるために、
あなたはそれを見出さなければならない。