「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

2018-07-14から1日間の記事一覧

狂っていると言われる覚悟がなければ、 人に本当のことなど言えないだろう。

この世界で最も安定し、最も確かなものは静寂だ。 静寂は万物の土台だ。 ゆえに平安は静寂を通して得られる。 静寂こそがあなたの本当の中心、揺さ振られることのない絶対的な中心だ。 だから瞑想しなさい。 静寂の中にあなたの足場がある。 精神的な安定の…

本当の拠り所、本当の我が家は静寂だったのだ。

沈黙とは、言葉の無視である。 言葉を無視し続ければ、それは静寂となる。

静寂と共にある人だけが本当の意味で生きている。 静寂だけが人の心を着地させることができる。

静寂だけが真のリアリティーを持つ。 静寂だけが"今とここ"に在る。 つまり"今とここ"に在りたければ、自らのチャンネルを静寂に合わせよ。

欲求には3種類あると言われる。 物質的欲求、精神的欲求、宗教的欲求。 感覚を満たし、心を満たし、そして最後には存在を満たす。 遅かれ早かれ、人は宗教的な探求を余儀無くされることになる。

欲望と依存は、精神的不安定ゆえに起こる。 安定は外ではなく、内に求めよ。 揺れているのはそこなのだから。

人生の前半は男性的・西洋的であれ。 人生の後半、およそ35歳以降は東洋的、女性的であれ。

OSHOは言う。 「戦ったものだけが降伏できる。 明け渡すことができるのは、苦闘したことがある者だけだ。 そもそもまとまったエゴがなければ、 あなたはエゴを捨てられない。貧しいものは放棄することができない。 そもそも所有しているものがないからだ。 …

ある命題、意見に対して賛成でも反対でもない人の存在は、 あなたをとてもモヤモヤした気持ちにさせる。 ハッキリしてほしい、内心そう思うだろう。 自我は常に明快であり、また明快なものを好む。 しかし真実は、彼らと同様のスタンスであなたを待ち構えて…

瞑想の前に、まず人は集中しなければならない。 パタンジャリのヨーガ・スートラの中にもそれが記されている。 八支則の7番目はディヤーナ(瞑想)だが、 その直前の6番目はダラーナ(集中)と定められている。 瞑想は集中ではない。しかし集中を経なければ瞑…

静寂は常に上にある。

不思議なことに、 倫理・道徳に従わない人ほど健康的な人が多い。

鬱病になっている不良を見たことがない。

倫理・道徳こそが、 あなたを苦しめている最大の元凶だ。

深刻である限り、ふざけることはできない。 ふざけられないと、いつまでも苦しいままだ。

真面目さは、深刻さゆえに起こる。 深刻じゃない人は、そもそも真面目になれない。

模範的な人ほど鬱になりやすい。

科学者は決して幸せになれない。 彼らは正解に、正論に絶えず怯えている。 彼らの世界では、正しい者が強者なのだ。

比較競争の意識が強い人は、自分に自信を持てない。 そんな精神環境で、自信を持てるわけがない。

自信を持つことができない人は、多くのチャンスを逃す。 自ら多くの可能性を絶っている。

かつて日本にも宗教が隆盛を極めた時代があった。 多くの新興宗教が乱立し、多くの悲劇が起こった。 あの時代の人々ですら、すでに人生に行き詰まっていたのだ。 不思議なことに、人類はいつの時代も行き詰まっている。 いつの時代も偉大なリーダーを求めて…

西洋のサルトルも、東洋のゴータマ・ブッダも 若い頃は虚無主義に取り憑かれた。 サルトルは生涯、そのステージに居続けた。 ブッダは最後の望みを求め、サニヤシン(出家者)になった。 その後の両者は全く異なる道を進んだ。

自信を持っている人は一見、正しいように見える。 しかし、実は盲目的な人ほど自信家が多い。 本当に注意深く、本当に聡明な人物は自信満々になれない。 彼らは断言することができない。

岡本太郎は言う。 人間には創造したいという欲求があると。 ピカソも言う。 子供時代、人は誰しも芸術家であると。

この世には、長生きするだけの価値がない。 だから自力で価値を創り出さねばならない。 じゃないと生きていられない。

生きている限り、税金は納め続けねばならない。 長生きは本当に幸福なのだろうか?

瞑想は、まさに究極のプロセス主義だ。 終わることのないプロセス。 ずっと続いていく。 始まりと終わりを見つけることができない。 恰も完全な一つのリングのように。

知識が欲しければ、 人は過去へ向かう他ない。 そういう意味では、 温故知新という言葉は素晴らしい。