瞑想の前に、まず人は集中しなければならない。
パタンジャリのヨーガ・スートラの中にもそれが記されている。
八支則の7番目はディヤーナ(瞑想)だが、
その直前の6番目はダラーナ(集中)と定められている。
瞑想は集中ではない。しかし集中を経なければ瞑想は起こらない。
0になるためには、まず1にならなければならない。
J・クリシュナムルティは言う。
「集中とは排除である」と。
余分なものは取り除いておかねばならない。
そして、集中するためには対象が必要となる。
そして同時に、集中する主体側にも一定の中心(統合化)を求められる。
人はまずある程度の一枚岩にならなければならない。