「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

2018-07-15から1日間の記事一覧

私は泥臭い日本人が好きだ。 変に構えて澄ましている人間より、 泥臭い人間の方がずっと胸を打つものがある。 最近、そういう日本人が居なくなってしまった気がする。

ハングリー精神の正体は、 貧困と劣等感から生まれた反発心なのかな?

続々・野村語録。ノムさんは努力の人。 「今日まで振り返ってみますと色んなことがございましたけれども、 やっぱりプロの世界、スポーツの世界、 やはりハングリーの世界だということは間違いないようでありまして。 子供の時代に育ったことが野球界で生き…

続・野村語録。とても重みのある発言です...。 「プロ野球でやっとりますと、嫌でも限界を悟るときが来ます。 いくら努力をしても、いくら頑張っても良い結果が出ない。 そういうときが必ず来たもんでありまして。 しかしそこから先はやはり、"考える"という…

選手時代、野村克也さんがある新聞記者のインタビューを受けて、 「野村さんの人生を支えてきたものは何ですか?」と訊かれた。 そのとき彼の口から咄嗟に出た言葉が「劣等感」だったという。 いかにも彼らしいエピソード。

昔の日本人は良い意味で泥臭く、味のある人が多い。

「王・長嶋が太陽の下で咲く向日葵ならば、 俺は所詮、野に咲く月見草だ。」 若き日のノムさん(野村克也)が語った言葉。 月見草だって、やっぱり向日葵が羨ましいよね。

芸や技は身を助ける。 絶対に裏切らない。

マイノリティーにはマイノリティーの、 弱者には弱者の生き方というものがある。 小人にだって意地はある。

人生も人間も単純明快でありたい。 やっぱりシンプルが一番だよ。

教養は良いこと尽くしだ。 減らない。盗まれない。管理のコストが掛からない。 こんなに素晴らしいものはない。

自分の世界観を持ちすぎている人は、 社会の中で他人に合わせることが困難になる。 その独特さが逆に足を引っ張ることが多い。 だからそれがプラスに働く分野を選ばなければならない。

人生は妥協の連続。 妥協できない人は、人生という梯子を降りる羽目になる。 夢を見ずに人生を生きることはとても難しい。

打たせて討ち取るピッチング。 それはビジネスにも通ずるものがある。 9回で81球、27奪三振は全く現実的じゃない。 理想論ばかり唱え、賢く妥協できない人はマウンドを去る運命にある。

人参は、糸で馬の眼前に垂らしてこそ意味がある。 会うべき人に会えているか? タイミングを間違っていないか?

ひたすら目の前のことに反応する人は、 何かを探し出したり、見出すことができない。

ある意味、女性は完成されている。 その証拠に、生まれ持ったエネルギー量はやはり女性の方が多い。 男性は未完成だ。何かが欠けている。 だからパズルの残りのピースを早く見つけ出さなければならない。 その不足感、飢餓感はとても深刻だ。女性よりも深刻…

男女の愛を永遠なものにしたければ、決して結婚してはならない。 離れて暮らした方がいい。 結婚が愛を破壊するからだ。 プラスとマイナスは、両者が接着していないからこそ引き合う。 引っ付いてしまえばゼロだ。引力は消えてなくなる。 ショートしてしまっ…

盲信は盲目、不信もまた盲目。 極端な在り方、一面的なあり方は簡単だ。 そこには知性も、注意深さも要求されないからだ。 道の真ん中にいなさい。 しかしそれはとても難しい。 中心はあまりに混沌としていて、 あなたは常にバランスを取り続けねばならない。…

誤解してはいけない。祈りは祈願ではない。 それはあなたの希望を要求することではない。 女性が愛する男性に想いを寄せるように、 あなたは愛する神に想いを寄せる。 女性が恋人の帰りを心待ちにしているように、 あなたは神の来訪を今か今かと待っている。…

ユダヤ教徒は神を「彼」と呼ぶ。 彼らは神を男性であると見なす。 そして彼らは言う。 あなたが神を探し求めているように、神の方もあなたを探し求めていると。 会いたがっているのはあなたの方だけではないと。 あたかも男性が女性を探し求め、女性が男性を…

東洋の宗教の修行は瞑想だが、 西洋の宗教の修行は祈りである。 かつての東洋人は瞑想に適性があった。 しかし現代の東洋の社会は どの国でも西洋的なテイストが非常に強い。 世界中が西洋になってしまったと言っていい。 だから現代人にとっては、 瞑想より…

人類は地球上を踏破した。 外側はもう十分だ。宇宙の果てまで行かなくていい。 そんな所へ行って帰ってきたところで、 あなたの人生に大した変化はない。あなたとはほとんど無関係だ。 次に向かうべきは内側だ。今度は内的世界を探求すべきだ。 実質的な未開…

勇敢な人ほど、その性質は穏やかである。 真の勇気は、返って人を冷静にさせる。

表面的なこと、ハッキリしたものを理解するのは早い。 しかし深遠なこと、茫漠としたものを理解することは、 何年何十年と歳月がかかる。 信じられないくらいの時間がかかってしまう。 当初の想像を見事に裏切られる。

力によって、気迫によって 瞑想的になることはない。 力は入れない、むしろ抜く。 道元は心身脱落と言う。

自分の生を真剣に生きていない者だけが、 他人の生に干渉する。 他人の人生に口出しする暇があったら、 まず自分の生を十全に生きよ。

力が入らない座り方を自分で見つける。 でもこれが難しい。 大抵は、無意識に身体のどこかに力が入っているものだ。 できるだけ力を使わない座り方。 これが瞑想には必要不可欠だ。 パタンジャリはそのヨーガ・スートラの中でこう定義している。 「アーサナ…

社会では、下手に信頼すると騙される。 しかし、やはり信頼は必要だ。 師を信頼できなければ、内側へ入れない。

あなたがちゃんと努力していれば、 師との離別はますます確実なものとなる。 それはより一層、避けられなくなる。