「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

2018-07-10から1日間の記事一覧

日本刀になるより、斧のようになった方がいい。

何を以って一流とみなすのだろうか? もしも理想的なものを一流とするのなら、 その一流は決して存在しない。 一流、本物というものをどう定義するか?

他人ほど理解できないものはない。 そもそも理解しようとすることが間違いなのかも。 本当に人間はわからないものだ。

世の中、表面的なものの方が圧倒的に多い。 むしろそれで成り立ってるとさえ言える。 深いもの、丁寧なもの、本質的なもの、一流のもの。 こういったものは逆に稀少だ。

抽象的なことよりも、具体的なこと。 思想的なことよりも、実務的なこと。 人は後者の方に関心を持つ。

平凡を愛することができれば、 どんな非凡さえ愛することができる。 しかし非凡しか愛せなければ、 どんな平凡も愛せない。 そのときあなたは閉鎖する。 世界に対して閉じてしまう。 やがて緊張と孤独に陥ることになる。 平凡、日常を愛せなければ、そうなる…

肯定的な人は、もうその時点で満たされている! 過剰さに陥ることはない!

理想主義、完璧主義という在り方は、 否定的な心によって生み出されている。 むやみに理想や完璧にこだわる人は病的だ。

どうしてもと言うのなら、 目指してもいい。求めてもいい。 ただし、 今の自分と、今の他人を否定することなく。 上を目指すために現状に満足しないのは結構だが、 現状を否定するのはおかしい。 しかし現状を否定せずして、上を目指すのはとても難しい。 人…

目指すこと、求めることをやめれば、 心は直ちにくつろぐ。 理想主義、完璧主義は人のためにならない。 むしろ人間にとって害でしかない。

今の日本社会は行き過ぎてる。病的だ。 みんな目指しすぎてる。人に求めすぎてる。 そんなことをやっていると、返って道を誤ってしまう。 目指すことを止めよう。求めることをやめよう。 足るを知ろうよ。もう十分じゃないか。

You never exist. Existing is true you.

努力すればするほど、ますます瞑想から遠ざかっていく。 それは努力の問題ではない。 瞑想はそもそも達成すべきものじゃない。

身体が完全に安らいでいるとき、感覚は消える。 心が完全に安らいでいるとき、思考は消える。

睡眠は人の心のためにある。 休息は身体のためだが、睡眠は心のためにある。 睡眠はその人の心に潤い・ハリ・活力をもたらす。 人が病んでいくとき、必ず睡眠から壊れていく。 短くてもぐっすり眠れる人はまず病まない。 だから寝れなくなったら要注意!!

腹ではなく、頭で生きるようになってしまった日本人。 コストカット、効率と利益の最重視。 徹底した商業主義が蔓延るこの時代に、敢えてその逆の在り方を提唱する。 たった40年そこらで日本社会は激変した。 信じられないほど変わってしまった。 正解も安全…

"自分"という感覚が消えれば、静寂は直ちに現れる。 "自分"がないから心は静かになる。

内側はくつろぎ、無努力の世界だ。 闘争や意志、努力は邪魔となる。

音がしているとき、 それを聴いているうちはまだ"自分"が消えていない。 聴いてる"自分"がいなくなって、 ようやく初めてあなたは音と共に在る。 聴いてる感覚が残ってるうちはまだ瞑想的でない。

存在している者だけが感じることができる。 存在していないものに対しては、考える(想像する)以外に何もできない。 考える人はまさに探す人である。感じることができない。 その人は決して生きていない。

現代人の文化は全て「頭の文化」だ。 私たちは頭のための訓練を嫌というほど受けてきた。 頭が肥大化する一方、ハートはどんどん縮こまっていく。 こんな心では瞑想できない。

OSHOの言葉の紹介 「水の中の魚が渇いていると聞いて、私は笑う。 水の中で魚が水を求めている。 水の中にいるというのに、喉が渇いているというのか? 我が家はあなたの内側にある! なのに、あなたの内側にいつも持っているものを、 内側以外の場所に探し…

感受性豊かな人ほど、社会で生きづらい。 そういう人ほど生きることに疲れやすい。

教えることによって、自ら学ぶ姿勢が失われる。

師になれる者などいない。 みんな学習者だ。 みんな死ぬまで"追いかける側"なんだ。

社会は常識でできている。 常識が壊れたら、社会も崩壊していく。

瞑想とは対象を持たない在り方だ。

やって見せないと、信じてもらえない。 じゃないと人は納得しない。

思考は既に知られたものの中を堂々巡りすることしかできない。 つまり、検索することしかできない。

仕事は片付け。 ササッと、リズミカルに片付けていこう。 片付けたもん勝ち。