「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

何かをやり切らないと、 自分自身の輪郭は見えてこない。 「自分像-セルフイメージ-」を知るためには、 一つ一つ何かをやり切っていくしかない。 失敗や放棄を通してやり抜く体験が、あなたを作る。

皆もそう、昔もそう。 この二つのフレーズには、とても説得力がある。

性質の問題か、構造の問題か? 性質に原因がある場合、構造を変革しても解決しないし、 構造に原因がある場合、性質を変革するとおかしくなる。 問題の原因が性質的なものか、構造的なものか、 どちらなのかを見極めるのがとても難しい。

理屈と膏薬はどこにでも付く。

理論は直感のために。 直感の芽を摘むような理論を作ったり、持ってはいけない。 理論はあくまで梯子に過ぎない。手段に過ぎない。

社会環境と自然環境の両面をより良くしていかないと、 結局のところ、どちらか一方さえもより良くできない。 社会が混沌としていれば、 自然に対しても人間はそのような姿勢で臨んでしまう。 社会内の事情を、自然界にぶつけてしまうんだ。

地相では、土地の形状としては、 円形、正方形、長方形、三角形、変形の順番で良い。 河川や道路の曲線の内側の土地が吉。 曲線の外側はアウト。

すべては「知らない」から始まる。 逆に「知っている」がすべての始まりを妨害している。

リーダーシップとは「破壊力」?

創造的なリーダーよりも、破壊的なリーダーの方が魅力的。 ゆえに集団の長になるのは、破壊的なリーダーの方が多い。 創造的な人々は、社会の中で隅に置かれることが多い。

日本と欧米の違い

日本と欧米の違いについてのキーワード 日本 ⇆ 欧米 関係社会 ⇆ 契約社会 気持ち ⇆ 仕組み ムード ⇆ ルール 恥社会 ⇆ 罪社会 グループ内は縦社会、ソーシャル内は横社会 ⇆ グループ内は横社会、ソーシャル内は縦社会 家族主義 ⇆ 社団主義 一元的 ⇆ 多元的 ハ…

能力というものは、 実際のところ、単なる実行の蓄積に過ぎない。 やったか、やらなかったかの差が、 今のあなたと、あなた以外の人との差を作ったのだ。 基本的に、人生はやったもん勝ち。 これはとてもとても重たい金言である。

内に事情を抱えている人間や組織は弱い。 これは家庭、学校、職場などあらゆる人間組織に言えることである。

始まりはひっそりとやってくる。 ひとりでにやってくる。 やって来た後に、初めてそれに気付く。

能力の差異など、そもそも問題でない。 どんなに有能な人物でも、一度に一歩しか進めない。 どんな人でも、一度に一歩は進められる。 能力の差など関係ない。やったかどうかの差だけだ。

科学は欲望の奴隷である。 欲望の手段、手先に成り下がったからだ。

独自の商売をするならば、 「痩せても枯れても、これを続けていくんだ!」 というものを持たなければならない。

ショボくても、カッコ悪くても続けていく。 そういう中で、段々と地力がついてくる。 絶対に諦めるな。

人間にとって、その属す環境からの影響は計り知れない。 適合する環境を選べ。

人間が言うこと、行うことは、 すべて社会から学習したものだ。 善も悪も、すべては個人からではなく、 社会から生まれた。 個人は社会の鏡なのである。 個人個人の振る舞いが、その属している社会のことを明らかにする。 決して「自分は関係ない」などと思…

西洋的な心も、東洋的な心も、 どちらも苦しみの中にあることに変わりはない。 西洋も、東洋も苦しんでいる。 東洋はゴールではない。 それは未だ道の途中である。 西洋的なものにとって、東洋的なものは 所詮は対処療法でしかない。 長い道の途上にある一時…

コミュニケーションの問題は、 聴き手の想像力に問題があるケースと、 話し手の説明力に問題があるケースとに大別される。 相互的に確認し合うことを常日頃からやっていないと、 知らず知らずのうちに「ズレ」が生じる。

奥が深い分野に関しては、 所詮は遊びと思うべし。 追究し始めると、それは永遠と続き、ひたすら円のように回り続けていく。 そこに「ゴール」はない。考え出したら、キリがない。 だから遊びのように、 ギャンブルやスポーツのように行いなさい。 決してビ…

個人が社会の足を引っ張ると言うが、 実際には、社会こそが個人の足を引っ張っている。

幸せになれなかった人がゾンビ化して、 幸せになろうと燃えている人の足を引っ張る。 これは世界中のどの地域でも起こっていること、 そして起こってきたことだ。

伝えられるところによると、 仏教の創始者であるゴータマ・ブッダは生前、こう言明したとされる。 「 無知には始まりはないが、終わりはある。 光明には終わりはないが、始まりはある。 」

過去には始まりはないが、終わりはある。 未来には終わりはないが、始まりはある。 そのちょうど境目にあるのが、現在なのである。 現在とは、まさに「終わりと始まりの出会う場所」なのである。

全ての男性性は、女性性の一部に他ならない。 男性性と女性性は相反する敵対関係にあるのではない。

喧嘩は嫌いだ。 だけど、喧嘩もできない人はもっと嫌いだ。

知っていることを把握するより、 知らないことを把握する方が素晴らしい。 「知っている」と言えるより、 「知らない」と言える方が素晴らしい。

経済は個人のためではなく、社会のためにある。 社会全体を食わせるために、個々の人間が働いているようなものである。 個々の人間が負債を背負って頑張るほど、経済成長は著しくなる。