「ヨーガ・瞑想 from 香川」

ヨーガ・瞑想・占星術などを香川県丸亀市から発信❗️

2018-07-13から1日間の記事一覧

映画を視聴する人々よりも、 映画の中で演じている人々でありたい。 そっちの方がずっと生きている。

キリスト、カビール 、ラーマクリシュナは、 光明を得たマスターたちの中でも特異な人々だ。 彼らは類い稀な愛の人だ。女性的だ。

全ての夢から覚めた人だけが、 この世界のリアリティーに触れていることができる。 夢を見れば見るほど、生きることができなくなる。

希望が消えれば、絶望も消える。 必ずセットで消える。同時に消える。 片方だけが単独で存在することは不可能だ。

生きる理由、頑張る目的は 人から与えられたり、押し付けられるものじゃなく、 自分自身で探すものだ。 自力で探しなさい。 価値、目的は自分で見出しなさい。

人は存在している。 なのに、その論拠を探し続けている。 自分が存在していることさえ忘れてしまったのだろうか?

人は自分自身の"存在"に対して、 もっともっと注意を払うべきだ。 外側ではなく、本質に焦点を当てておくべきだ。

ふざければふざけるほど、 あなたは今とここに存在する。

芸術とは遊びだ。戯れだ。 まさにその場で踊り続けるようなものだ。 特定のどこかへ向かおうとしてはいけない。

あなたにとっての価値とは何か? 自分自身を賭けてまで追い掛けれるものは何だ?

やることがない。 これが一番キツイ。 とにかく取り組める、打ち込めることがあるだけマシ。

人はまず感動しなければならない。 まず感動ありき。 そこから趣味や仕事や仲間たちが発生していく。 感動がそれらに繋がっていく。

OSHO曰く 「ヨーガとは夢を見ない心に至るための訓練である」という。

行動も身体も思考も感情も感覚も人格もすべて外側だ。 それらは本当の意味では、あなたの一部ではない。 真のあなたはそれらのどれでもない。

見られることがない人は、自らを見ている。 外を見ない人は、自らを見ている。

楽しく生きなさい。 上に這い上がろうなんて、考えるもんじゃない。 力を注ぐべきはそこじゃない。

苦しんでいる人とは、 まだ"頑張っている人"だ。

頑張っている人は、今とここにいない。 頑張れば頑張るほど何かを逃すことになる。

商品はそもそもそんなに売れるようなものじゃないし、 商売はそもそもそんなに儲かるようなものじゃない。 つまり物質・名声・権力以外の価値を見つけ出せない限り、 人は幸せになれない。 見つけよう、新たな価値を。 見つけよう、新たな在り方を。

この世界に真に価値あるものはない。 だが、人は何かを求めずにいられない。 需要が尽きることはない。 全ての産業が滅びることはない。 仕事は必ずある。人が愚かであり続ける限り。

私は幸せだ。 更なるものを求めないから。 私は安らいでいる。 更なる上を目指さないから。

男は仕事。 打ち込めるものを失くしてしまったら、男は終わり。

人間は悩む。 どうしたって悩む。 だから宗教やエンターテイメントは死滅しない。

懐疑、それが科学的な態度だ。 ゆえに科学者は引きこもりだ。 科学という洞穴からいっこうに出てくる気配がない。

商売の本質とは、 セッティングとマッチングだ。 商品を客の視界に持ってきてあげないと、 売れる物さえ売れない。 人目に触れる場所、そこがプラットホームだ。 そこに働きかけるべきだ。 隅っこでヒソヒソとやっていても無駄だ。

自分を見るような眼で他人を見てはならない。 他人を見るような眼で自分を見てはならない。 それは必ず間違えるから。

ふざければふざけるほど、 人はますます自然体に、 ますます本来の自己に立ち返っていく。

現状を否定すれば、強迫観念に駆られてしまう。 目指すな、求めるな。 今のまま広げていけばいい。

21世紀、人は自分の力で 生きる意味、生きる目的を見つけ出さねばならなくなった。 もう誰も与えてくれない時代なのだ。

真面目になればなるほど、 ますます狭くなり、貧しくなり、惨めとなる。 そして矛盾を消化できなくなる。 一面的な生き方とは、真面目な生き方のことだ。